源義経~戦国史上初の奇襲「一の谷の戦い」

源義経像

 戦国の世では、敵を攻める時間や

場所、兵力などの情報が漏れたら

勝ち目がなくなるかもしれません。

 

それでも戦うのはバクチと同じ次元

になりさがります。

 

練って練って兵をあげないと、

手柄を立てるどころか一族の立場を

保つことは出来なかったと思われます。

 

 

源氏と平家の熾烈な戦の転換点に

なったともいわれる「一の谷の戦い」

 

そこで一計を案じたのが源義経です。

 

一の谷の戦いは、源義経にとっては

ココ一番の戦だったと思われます。

 

負けることは許されません。

 

 

それまで奥州藤原氏の下に

身を置いていた義経。

 

中国の兵法書が藤原氏のところに

あったことから

 

裏をかくこと、小(源氏)が大(平家)

に勝つには不意打ちしかないことを

すでに学んでいたのかもしれません。

 

それを一の谷の戦いで実行します。

 

 

夜明け前の奇襲。

 

奇襲としては戦国史上初と言われています。

 

 

少数精鋭で転がり落ちそうなほど

急な崖を馬で一気に駆け下ります。

 

そんなことあるはずがないと

不意をつかれた平家は大パニックに陥ります。

 

奇襲は見事にはまり、義経は

平家軍の陣営を切り裂きフルボッコ

状態にしました。

 

その後、逃げる平家の背後からは

源氏本隊が攻め込み挟み撃ちにします。

 

平家は浮足立つしかありません。

 

勝負ありです。

 

 

源氏本隊が表とみせて、実は裏。

義経隊が裏とみせて、実は表だった。

 

表裏一体の義経の策がまんまと

はまった結果となりました。

 

 

本来の戦力は平家が相当勝っていた

かもしれません。

 

天の時、地の利、人の和を最大限に

生かしたうえで勝つ道をつくった義経。

 

不可能を可能にしたのです。

 

 

実際に、奇襲があったのか

なかったのかは

 

確かなことはいえないようですが

源平合戦の転換点になったことは

事実のようですね。

 

 

義経はこのあとの「屋島の戦い」

でも奇襲を仕掛けて平家に圧勝しています。

 

手段を選ばぬ戦ともとれますが、

身を立てるには練りに練らなければ

ならないのです。

 

表裏妙連、自然の理を味方につけた戦です。

 

 

 

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