地元の歴史

地元の歴史 駿河区長田地区

〇用宗(もちむね)

用宗海岸は県下で一番有名な「台風中継スポット」であり、

全国ネットでもしばしば放送されます。

夏場はちゃんとした海水浴スポットです。

 

用宗城跡は持舟城跡とも呼ばれていて、用宗城跡のある小山から

静岡の街が一望できます。地形的に要衝に見えるのですが

残念ながら東海道は北側の宇津ノ谷峠に迂回しています。

 

用宗港は「沿岸漁業発祥の地」らしいです。

 

用宗で揚がるシラスは沼津や由比あたりのシラスよりも美味しいといわれますが

真相は自分の舌で確認してくださいね。

 

「シラス餃子」という名の餃子が美味しいお店があります。

5月には「用宗漁港祭り」というのが開かれ釜揚げしらすの試食ができます。

 

〇丸子(まりこ)

芭蕉も詠んだ「丁子屋」(ちょうじや)の麦とろろ汁が有名です。

観光目的なら丁子屋、美味しいのは隣の「一松園」というのが

地元の偽りなき声です。

 

その有名な丁子屋、今でも旧東海道に面した側は東海道五十三次の浮世絵に

描かれている江戸時代風の建物になっています。

しかしながら、昭和初期の写真を見るとその頃は普通の家だったようです。

現在は江戸時代の復刻版みたいな感じにリフォームされているのです。

 

「誓願寺」は拝観一切不可だが、参拝は可能というちょっと変わったお寺。

創建は建久年間(1190年~1199年)で、源頼朝の両親供養のために

創建された寺院です。

 

境内の池に天然記念物「モリアオガエル」が棲息しています。

 

時は流れて、関ヶ原の戦いで天下を手に入れた徳川家康は、

豊臣家をなんとか滅ぼせないかと策をめぐらせていました。

 

豊臣家が、誓願寺に置く鐘を造りました。

そこには「国家安康」の文字が記されていました。

国の康からんことを願う、普通の文言です。

 

しかし、徳川家康にとってはトラブルの口実にぴったりだったのです。

 

「徳川家康の、家と康を別の文字で引き裂いている。

これは家康を呪う魂胆だ。ケシカラン!」と因縁をつけたのでした。

 

その近くに「大鈩不動尊」さら「吐月峰柴屋寺」があります。

 

「吐月峰柴屋寺」は、連歌師の宗長が晩年を過ごしたところ。

月の名所であり、借景庭園は国の名勝及び史跡に指定されています。

 

また、月に一度毎月28日に朝市が開かれます。

それほど便が良くないのに人出があります。

道路は違法駐車状態ですが、大目に見てくれているようです。

山里の朝市で農産物や漬物が売られている姿にはどこか懐かしさが漂います。

 

〇宇津ノ谷(うつのや)

宇津ノ谷峠を越えてもまだ藤枝市岡部。

安倍川をわたってからの長い峠越えをした割にはそれほど進んでないことに

江戸期の旅人は愕然としたことでしょうね。

 

宇津ノ谷峠は道路技術の発展とともにどんどん低くなっていったようです。

道の駅が峠の向こう側と手前側とに分散してあります。

 

伊勢物語や十六夜日記に記述が出てくるくらい古くから集落があったそうです。

 

丸子の一部もそうですが宇津ノ谷の各家には「屋号」が引き継がれています。

街道沿いのいい町並みも残っていますが、宇津ノ谷は宿場町ではなかった

という事実。

 

峠越えには、6つのルートが存在します。

 

奈良時代には存在したという「蔦の細道」と旧東海道

明治期に開通したトンネル(国の登録有形文化財)

今は県道になっている昭和第一トンネル、

そして国道1号線初期の昭和第二トンネルと

現在の国道1号線である平成時代のトンネルです。

 

歴史好き、道好きにはたまらない場所かもしれません。

 

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